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念願の保育士になりましたが体調を崩して退職しました。


私は子どもの頃から保育士になることが夢でした。短大の保育科を卒業し念願の保育士になることができました。

そして20歳からの7年間正社員として保育園ではたらきました。とてもやりがいがありましたが、思っていた以上に辛いことの多い日々でした。

働く上で辛かったこと

保育士はかわいい職業のイメージがありますが実際には肉体労働です。子どもを抱っこしたりおんぶしたりは当たり前ですが、女性ばかりの職場なので重い物を運ぶのも自分達でやらなければいけません。

なので常に肩がこり腰が悪くなりました。しかしそれはまだ我慢できました。

何より辛いことは人間関係です。女性ばかりなので派閥がありいつも悪口を言いあっていたり主任の気分次第で怒られることも多々ありました。

そんな生活の中でだんだんとストレスがたまっていったのだと思います。

パニック障害発病

保育士を始めてから7年が経って立場も上になってきて、クラスリーダーを任されるようになりました。

その分責任も重くなり主任からきつく怒られることも増えました。しかも主任に嫌われていたので、私のミスをわざわざ探して怒られるという日々でした。それでも子ども達もかわいいし辞めたいなんて思いませんでした。

しかしある日怒られている時に過呼吸になってしまいました。その時はすぐに治まりましたが、次の日から仕事に行こうと思うと心臓が痛くなり息が苦しくなって出勤できなくなりました。

心療内科に行きパニック障害と診断を受けて1ヶ月間休むことになりました。

仕事復帰から退職まで

仕事を休んでから1ヶ月後まだ医者からは行ってもいいと言われませんでしたが、運動会前だから戻ってきて欲しいと言われ医者に無理を言って出勤してもいい許可をもらいました。

久しぶりに会う子ども達は本当にかわいくて再び会えた喜びで涙が出そうでした。これからもがんばって働いていこうとその時は思いました。しかし復帰から1ヶ月近く経ってまたいつものように主任から怒られる日々が始まりました。

その時に主任から「休んだのもどうせずる休みだったんでしょ」と言われました。本当にショックでした。

子ども達はかわいいですがもうここでは働けないと思い退職することにしました。

退職する日子ども達と離れるのが寂しくて涙が止まりませんでした。でも今は退職して良かったと思っています。

退職してからすぐ辛かった生理痛も偏頭痛もなくなり夜もぐっすり眠れるようになりました。

保育士をやめた私がまた保育士に戻りたい理由


私は結婚を機に、夫の住む町へ引っ越さなければならず保育士を辞めました。

それまで5年間、同じ職場で働いてきましたが、通勤困難な距離だったため、辞めざるを得ませんでした。年度途中で退職しなければならなかったこともあり、他の先生方には迷惑をかけてしまいました。

勤めていた園では、正規職員として働いていたので、ボーナス、退職金も出ましたが、基本給が低いので、ボーナスは普段の生活費の補填に消え、退職金も多いとは言えないものでした。臨時職員の先生は、ボーナスもなく、退職金もないため、勤続年数を重ねる理由がないとも話していました。

再就職を目指して

現在、子どもを出産し、職場復帰を目指していますが、小さな町なのでパートの保育士の募集がなく、フルタイムの臨時職員としての募集しかありません。フルタイムといえば、必ず残業がつくのが保育士です。残業代はもちろん出ません。そして、私自身、子どもを預けなければならないのですが、1歳児はすぐに入所できるところがなく、無認可保育園もないので、職場復帰できないのが現状です。

保育士をしていたお母さんは、子どもが大好きです。自分の子どもならなおさら、成長を見届けたいと感じます。

勤務時間など融通のきかない職場だと実感してるからこそ、再就職を諦める人も多いのではないかと思います。

私が退職した時のこと

それでも私が職場復帰したいと思うのは、前の職場を退職したときに、園児のお母さん方が「先生に卒園まで担任してほしかった」「先生が担任になった時にとても嬉しかった」「うちの子は先生が大好きだった」などの言葉をかけて頂いたからです。

給与や待遇には変えられない、やりがいを感じられる瞬間があり、毎日子どもたちの成長を見られる喜びがあるからです。

働いている保育士のほとんどが、自分の時間やお金を削っていると思います。でも、子どもたちのためならそれでもいいと思えるのです。

それが保育士を続けたい1番の理由だと思います。

保育士へ転職したい。退職した理由とは

私は、3年ほど前に、保育士の仕事を退職しました。子ども達の笑い声が響く場所で、子ども達に囲まれて仕事ができて、毎日充実した日々を過ごしていました。

実家の近くに家を新築し、子どもも授かり、子どものことは、生後3か月から、ずっと母が面倒を見てくれて、仕事を続けることができました。

しかし、今から5年前の東日本大震災によって、私の人生はがらりと変わりました。

いつものように、息子のことは母にお願いして、仕事へでかけました。その日の午後、あの大きな地震があったのです。

大きな揺れのあと、実家のことがすごくて心配になりましたが、職場にも不安そうな表情をする子ども達がおり、園長には、すぐに帰るように言われましたが、定時までは、勤めました。

というのは、私の住んでいる地域は、津波で有名な場所だからです。すぐに帰ろうと車に乗りましたが、信号はつかず、道路は大渋滞。家まで帰る道は、通れないと警察に止められました。

そう、もう津波のがきた跡だったからです。

旦那の職場で、旦那の帰りを待ちました。合流して、山道から家のある地域近くまで進みました。

夜になっており、私の住む地域は、真っ暗でした。津波の跡でした。

震災により、私は、息子と母と曾祖母を喪いました。

築2年の家も流失し、生きている意味がわからなくなりました。でも、母なら仕事をしなさいと言うだろうと思い、歯を食い縛り、涙を流しながら、仕事をしました。

仕事復帰してから2年ほどの記憶がほとんどありません。仮設住宅に住みながら、仕事へいき、体重は10キロ近く痩せていました。

叶うのなら、もう一度我が子を抱きたいと思い、すがる思いで婦人科へ通いましたが、不妊治療専門医院を進められ、仕事と不妊治療の両立が始まりました。

担任を受けもっていたので、休みをとるのが、きつかったです。不妊治療は、体外受精をし、結果が出ずに、もうこのまま職場にいつまでも迷惑をかけられないと思って、退職届けを提出しました。

精神的にかなりきつい状態でしたが、震災後に仕事復帰できたのは、職場の皆さんのおかげです。

退職する月に、妊娠が分かり、職場の皆さんに伝えると、泣いて喜んでくださいました。今、次男は2歳になりました。

もう少ししたら、パートで仕事復帰したいなと思っています。